武蔵村山
拝島大師様と豊鹿島神社に参拝させていただきました。
位置関係はこんな感じです。
ちょうど武蔵村山市のでえだら祭りがあるということで、宣伝のポスターがあちこちにありました。
豊鹿島神社の謎
拝島大師は元三大師様がいらっしゃいます。
メッセージをいただきました。
ここは写経を納めた人だけが、御朱印をもらえるそうです。
本来はそういう形だったのですね。
本殿の向かって左手側に行くと、奥の院があります。
ここは鎖がしてあり入れませんでしたが、階段から手をあわせました。
中には如意輪観音さまがまつられているそうですが、外から手を合わせるだけでもものすごい癒しのパワーが感じられました。
だるま市の時はものすごい人で賑わうそうです。
そして武蔵村山方面に向かい、豊鹿島神社にいきました。
蘇我倉山田石川麻呂
この神社は創建がはっきりしていなくて、慶雲4年(707)蘇我倉山田石川麻呂の創建であると伝えられています。
蘇我倉山田石川麻呂といえば、中大兄皇子と藤原鎌足とともに蘇我入鹿を討った人です。
大化の改新ですね。
年号は645年。
そして蘇我倉山田石川麻呂は謀反の疑いをかけられて649年に自害しているのです。
とすると707年の豊鹿島様創建の時には故人であったことになります。
なのでおそらくもう一人の創建者として伝えられる、天智天皇第四姫宮の阿閇皇女(あへのひめみこ、元明天皇)なのだろうと思われます。
この阿閇皇女こと元明天皇のおかあさんは、蘇我倉山田石川麻呂の娘である姪娘(めいのいらつめ)です。
要するにお祖父さんを偲び、その名を遺したのではないのかと思います。
ご祭神は武御加豆智命。
ご神体は龍王丸という刀だそうです。
そして創建に伝わる伝承がすごいんです。
その当時頭が三面ある鬼が武蔵国で暴れていて、それを討伐して常陸の峯に鎮めたそうです。
それでこちらに神社を建立したのだそうです。
式神ほつまさんは神様からメッセージをいただきました。
なんか~おじゃるーみたいな麿呂系の神様だったと言っていました。
私のほうはもちろん何も聞こえませんが、おみくじで重要なメッセージをいただきました。
大吉だーって言って喜んでいたんですが、あとでよくよく見てみたら、
受けたお役目一筋に
良いことが悪くなるか、悪いことがよくなるか、行く先のことは容易に見分けがつくものではない。
されば徒に目先の出来事をくよくよと思い煩わず、良いも悪いも神様にお任せして
ただひたむきに受けた務めを根限り精一杯励むがいい。
きっと神様はお助けくださいます。
胸に沁みるお言葉です。
今の私の状況そのままですから。
目先の出来事にくよくよしてばかりいましたから。
憂さの晴れないことばかりで。
神様にお任せしちゃえばいいとおっしゃってくださっていますね。
何が良くて、何が悪いのか。
どれが正義でどれが正義ではないのか。
私にはほんとにわかりません。
裁く資格もないし、これからどうなってしまうのかもわかりません。
思い煩うだけばかばかしい限りですからね。
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