三木家の麁服
私は何も知らずにこの記事を書いていたんですね。

忌部氏がこの後すぐに関わって来るとは、全くわかっていませんでした。
このブログにしては少し毛色の変わった記事かと思います。
そして令和元年即位礼正殿の儀で、天皇陛下が三木さんたちの作った麁服をお召しになっていらっしゃいました。
このあと寒川神社で「あわの恵みが得られるところにいきなさい」
氏神様も「あわにいきなさい」
大國魂神社でも「あわに行ったら小さな祠にいきなさい」
とお告げがきていたのです。
あわは四国ではないと言われました。
ということはもう一つの安房、房総半島の南、館山の方ですね。
調べると、ここは忌部一族に関連する場所でした。
神武天皇の頃、阿波にいた忌部一族のうち天富命が、一族を引き連れて房総へ渡ったのだそうです。
安房忌部
房総半島は実は忌部氏が開拓した土地だったのです。
Wikiより
『古語拾遺』(大同2年(807年)成立)[原 11]や『先代旧事本紀』[原 12]の説話によれば、忌部氏遠祖の天富命(天太玉命の孫)は各地の斎部を率いて種々の祭祀具を作っていたが、さらに良い土地を求めようと阿波の斎部を率いて東に赴き、そこに麻(アサ)・穀(カジノキ)を植えたという。
同書では続けて、天富命が植えた麻が良く育ったのでその地を「総国(ふさのくに)」というようになり、また穀の木が育った地を「結城郡」というようになったとし(分注に、麻は「総(ふさ)」の古語とし、また上総国・下総国の2国がこれにあたるとする)、阿波斎部が移住した地は「安房郡」と名付けられたとする(分注に、これが安房国の国名になったとする)。また、同地には「太玉命社」を建てられ、これが「安房社」(現在の安房神社(千葉県館山市)に比定)にあたり、その神戸(神社付属の民戸)には斎部氏があるとも伝えている
忌部氏は皇室の祭祀を担う一族でした。
我々は安房にいかなければならない。
ということで計画をたてました。
なんかものすごーく遠いというイメージだったのですが、実は新宿から館山まで高速バスで2時間でした。
海ほたるを渡っていくので、そんなにかからないんですね。
日帰りもできますが、あちこち回りたかったので、一泊することにしました。
安房の旅の記録は少しずつあげていきたいと思います。
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