皇居の鬼門を守る和気清麻呂
皇統の危機に際して、命がけで義を通した和気清麻呂。
皇居の鬼門には、その和気清麻呂の銅像が建てられています。
楠木正成の像は知っていても、こちらはあまり知られていないようなのですね。
宇佐八幡宮ご神託事件の一年後、称徳天皇崩御、それと共に道鏡は失脚して栃木県の方に追いやられます。
そして和気清麻呂と広虫も都に呼び戻されました。
義を通す
正しいことをしたのに、ひどい目にあってしまう、とても理不尽なことです。
私も闇の組織にいたときに、似たような経験をしています。
まあ、国難を救った和気清麻呂と私の犯罪組織に関わった体験を一緒にしてしまってはだめなのですが、
その頃、このままでは人を騙してお金をとることになると思った私は、その行為をやめるようにトップ3人にはっきりと言いました。
その時の3人の私を見る蔑んだような冷たい目は忘れません。
そこではトップに逆らうととんでもないことになるという世界でしたから。
もちろんその後私はやってもいない事をでっちあげられたり、誹謗中傷をされたりしました。
まだこの問題は片付いたわけではありません。
現在も継続中です。
そのため詳しいことは一切書けないのです。
でも私は間違ったことはしていないと自分で思っていますし、真実はいつか全て明るみにでるだろうと思っています。
平安遷都
和気清麻呂は光仁天皇そして次の桓武天皇に遣え、国のために尽くします。
そして地の利の悪い長岡京から、平安京をつくり都をうつすことになり、和気清麻呂はその総指揮を任されることになります。
平安京遷都の裏にあった、祟り事件についてはこちらの記事に書きました。

早良親王・大伴家持、祟り事件
無実の罪を着せられた早良親王平安京ができた裏に、実は世にも恐ろしい祟り事件があったのをご存知でしょ...
和気清麻呂が総指揮をとってつくりあげた平安京は、千年の都と呼ばれてその後栄えることになるのです。
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